尾畠春夫(おばたはるお)さん情熱大陸に出演!
#2歳児発見
78歳、小畠春夫氏
警察・地元消防等の、専門家が見つけられなかったのを、素人のボランティアが・・・
神の使いか 😇😇😇自家用車に寝泊まりして、自己完結・自己責任での奉仕活動
日本は、まだまだ『捨てたモン』じゃない
🙌🙌🙌🙌 pic.twitter.com/kjhIWk0utw— 蜂のムサシ (@NJXIcW7cMsenL7k) 2018年8月15日
2018年8月15日日本中が喜びと安どした瞬間は今考えても、身震いを
覚え思わず良かったと拍手したものです。
2歳になったばかりの男の子が、夜は真っ暗な山中でどんなにか心細く
お母さんに会いたかったことか、家に帰りたかったことかと胸が
痛みました。
よくぞ、無事で見つかってくれましたね。
尾畠さんは、2016年12月に大分県佐伯市で2歳の女の子が行方不明になった
際にも捜索隊に参加してました。
その時の経験から子供は上に上ると確信し山を登って発見しました。
尾崎春夫さん、
「どんだけ凄いじいちゃんなんや!?スーパージイチャンやんけ!!」
とあまりにも素晴らしい方すぎてビックリしまくっている
自主的の捜索活動に、装備品が凄い!担いでるリュックからしっかりしたロープが見えてるし、毛布云々の報道もきっと毛布は尾畠さんが準備された物‥?— こじったろう (@kotakoji_LOVE) 2018年8月15日
捜索隊が大勢になると子供の声が聞こえなくなると、朝早く出発して
見事に発見してくれました。
本当に良かったですね。
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今回は尾畠春夫さんの人となりと、ボランティア活動
にかける情熱をご紹介したいと思います。
プロフィル
尾畠春夫(おばた・はるお)
1939年大分県生まれ
小学校5年生の時に母を亡くし農家に奉公に出されました
中学校は3年間のうちの4カ月しか通っていません
兵庫県神戸市の魚店で修業を積み
東京都大田区で鳶と土木の会社で資金を貯めた後、
1968年に大分に戻り魚屋「魚春」を開業。
65歳の時に惜しまれながら閉店
以後ボランティア活動に専念しています。
家族 妻と48歳の息子、45歳の娘、孫5人。妻は数年前、用事で出かけて
まだ帰って来てないそうです。
尾畑のおじいさんと呼ぶにはまだまだ若いから、「尾畑のおいちゃん」と呼ぶことにします✨🎉#尾畑春夫さん #2歳児発見#ボランティア #時の人 #スーパーボランティア pic.twitter.com/nInsAH3ml1
— godai∞dean🐎🐴🐑🌏🚀🐣🥚 (@dean_pho_love16) 2018年8月16日
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尾畠春夫さんボランティア活動歴
2004年の新潟県中越地震 この時はその際は師匠と呼ばれていた。
2011年の東日本大震災の際には がれきのなかからアルバムなどを探す
活動をし「思い出探し隊」の隊長として活動。
大分と宮城を車で往復し400日以上支援活動をしています
2015年の東日本豪雨、
2016年の熊本地震 元建設作業員と紹介され
ボランティア12人を統率していました
尾畠春夫さんのすごいボランティア精神
尾畠さんは
2006年4月1日に鹿児島県から北海道まで日本列島を徒歩で横断する旅に
出ています。3ヶ月かけ2006年7月1日に約3000キロを歩き制覇!
日本列島縦断の旅で、親切にしてもらった南三陸町の人を訪ねたそうですよ。
自分が苦しい時に、優しく迎え入れてくれた人々への感謝の気持ちを
行動で示したかったのでしょう。
40歳から初めた登山に関しても、おなじです。
大分の由布岳の登山道の整備。
月に7~8回ほど何と40キロもある材料を担いで整備をしています。
案内板やベンチの修理など行っているのです。
廃材やロープなど家に持ち帰りペンキを塗ったり網をあんだりして
それを由布岳の険しい山を登り運んで整備しているのです。
何人もできる事ではありませんね。
本当に頭が下がるおもいです。
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まとめ
尾畠さんのことばで一番好きなもの。
かけた恩は水に流せ受けた恩は石に刻め
初めて聞いた言葉です。
人間、こうありたいものですね。
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