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慶應義塾大学野球部の4番として、東京六大学を代表する
打者となった常松広太郎。
その彼が今、アメリカ・シカゴ・カブスとマイナー契約
内定。神宮からメジャーの舞台へ——。
常松が語る「挑戦の理由」とは何だったのか。

“慶大の4番”という名の重圧

東京六大学野球。満員の神宮球場に「常松」の名前がコールされるたび、

期待の眼差しが集まった。

だが、本人は笑う。

試合の結果を背負い、仲間の信頼を抱え、打席に立つ。

調子が落ちれば、真っ先に名前が挙がる。

それでもバットを握り続けられたのは、「チームのために」という強い信念が

あったからだ。

「自分のために打つより、仲間のために打つ方が力が出る」

その言葉に、慶大の4番としての日々の重みがにじむ。

「4番って、思っていたより孤独なんです。」

そう笑う常松の表情には、ほんの少しの照れと覚悟が混じっていた。

試合のたびに注がれる視線、勝敗を左右する一打への期待。

それでも、彼は逃げなかった。

「怖い瞬間もあった。でも、チームのために打つなら、どんな重圧も力に変えられる。」

慶大の4番として立ち続けた3年間。

その背中には、“責任”という言葉がいつも貼りついていた。

「もっと上を見たい」——挑戦のはじまり。

渡米を意識したのは、大学3年の秋。

神宮の試合後、ふと感じた。

「この先に、まだ自分の知らない野球がある気がした。」

アメリカ挑戦の話を口にしたとき、周囲の反応は冷ややかだった。

“現実的じゃない”——そんな言葉もあった。

「でも、自分が本気でやりたいと思った以上、行かない理由はなかった。」

英語の勉強、海外スカウトへのアピール、映像分析。

コツコツと積み重ねた努力が、やがてカブスのスカウトの目に止まった。

慶應スピリットを胸に、ゼロからの挑戦。

慣れない土地、結果主義の環境、言葉の壁。だが常松は言う。

「どこに行っても、バットを握れば自分になれるから。」

慶應で学んだ“考える野球”は、今も彼の軸だ。

練習に理由を持ち、ミスを分析し、仲間と共有する。

その姿勢こそ、慶大出身者らしい“学ぶ野球”の体現だ

「挑戦を怖いと思うことは、悪いことじゃない。」

「怖さを感じるってことは、本気で向き合ってる証拠だと思うんです。」

そう語る常松の目は、もうアメリカの空を見つめていた。

失敗も、成功も、すべて受け入れて進む覚悟。

それが、彼の選んだ“野球人生”だ。

「結果よりも、挑戦している自分でいたい。
その気持ちがある限り、どんな舞台でも戦える。

常松幸太郎プロフイール

名前 常松広太郎(つねまつ・こうたろう)
生年月日 2003年10月27日(22歳)
出身地 神奈川県
学歴 慶應藤沢中等部→慶應藤沢高等部卒業
大学 慶應義塾大学法学部政治学科4年
背番号 3
ポジション 外野手
投打 右/右
身長/体重 183㎝/88㎏
家族構成 ご両親と本人の3人家族。兄弟の情報は見当たりません。

常松幸太郎さんは商社マンだった父親の仕事の関係で小4から小6まで、

米ニューヨーク州に在住していました。

野球は小1から始めています。

TOEICは990点満点の秀才です。

アメリカ挑戦を意識し始めたのは、大学3年の秋だった。

神宮でのプレーのあと、ふと「もっと上を見たい」と思ったという。

周囲からは「現実的じゃない」とも言われた。

だが、常松は迷わなかった。

「夢は、叶うかどうかじゃなくて、追うかどうかだと思うんです」

その言葉どおり、彼は地道に英語を学び、トレーニングを重ね、海外スカウトの

目に留まる努力を続けた。

やがてカブスのスカウトが慶大グラウンドに足を運ぶようになる。

「日本の大学生にしては、野球をよく“理解している”」

その評価が、契約への第一歩だった。

“慶應スピリット”を胸に

常松の挑戦は、単なる夢の実現ではない。

それは、「学び、考え、自ら動く」という慶應の精神を、次の舞台で体現することでもある。

「野球を通じて、誰かの勇気になれたら、それが一番うれしい」

慶大の4番が、今度は異国のマイナーリーグで、再びゼロからの挑戦を始める。

慣れない食事、遠い国、結果を求められる環境。

それでも、彼は笑う。「どんな場所でも、バットを握れば、自分になれるから」

まとめ

常松広太郎は、まだ“完成”していない。

だからこそ、成長の余白を持って、海を渡る。

挑戦の先に何が待つのかは、誰にもわからない。

けれども、確かなのは——その一歩が誰かの背中を押すということだ。

神宮で輝いた4番打者は、今、広大なアメリカの空の下で再び夢を描き始める

その物語は、まだ第一章が始まったばかりだ。

契約を知らせるメールを見た瞬間、心が静かに跳ねた。

米大リーグ・シカゴ・カブス——。

遠い存在だったチームの名が、現実のものになった。

「現実的じゃない、って言われても、自分の中では“行く”しかない。」

それは逃避ではなく、成長の選択。

英語の勉強、トレーニング、映像分析。

見えない時間の積み重ねが、ようやく形を結んだ。