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「サウスポーの怪物」。そんな異名を持つ西田有志選手。
高校卒業後すぐにプロの世界へ飛び込んだ異例のキャリアと、
見る者を圧倒するスパイク。その素顔は、どこか少年のような
純粋さを感じさせます――。

 

 

 

異例のキャリア:高校卒業後、即プロ入り

西田有志選手のバレーボールの世界は彼が保育園の年長さんの位頃からでした。

そこには、既にバレーボールを始めていたお兄さんとお姉さんの存在がありました。

 

いなべ市立大安中学校2年時にはJOC杯の三重県選抜に選出される程の注目される存在に。

 

高校進学にあってはバレーボール強豪校などから勧誘もあったが、地元の

海星高等学校に進学しています。

 

高校時代第11回アジアユース男子選手権大会に出場するU-19日本代表に選出され、

この大会では優勝を果たしています。

高校3年のときにVプレミアリーグ男子のジェイテクトSTINGSに高卒内定選手として入団。

 

2018年1月6日の堺ブレイザーズ(広島県立総合体育館)戦で高校生選手としてVプレミアリーグ

の公式戦に初出場、この試合でのスパイク決定率70%を記録!

翌日のJTサンダーズ戦ではチーム最多の26得点を叩き出し鮮烈なデビューを飾った。

 

2018年4月、海星高等学校を卒業して、正式にジェイテクトSTINGSに入団。

中垣内 祐一監督の率いるバレーボール男子日本代表に抜擢されました。

 

入団2年目からは正社員選手からプロ契約選手に切り替えてもらってます。

世界のトップ選手と対戦してみて、バレーボールだけに専念する環境が必要と感じた

からだと語っていました。

 

代名詞は“左腕スパイク”とジャンプサーブ

パワーとスピードで世界を驚かせたプレー

2019年のワールドカップでは世界の強豪を相手に次々とサービスエースを奪い、

海外選手たちを驚かせました。

カナダとの最終戦の最終セットでは、9-9から5度のサービスエースを含む6連続ブレイクを

記録してチームを勝利に導いています。

 

2020年、Vリーグ1部のV1では日本選手初の得点王に輝いています。

彼は地上から1m40cmの高さのとび箱の上に着地できる跳躍力を誇ります。

最高到達点346㎝の脅威的なジャンプ力”です。

 

西田有志の受賞歴

Vリーグ
  • 2018-19シーズン:Vリーグ最優秀新人賞
  • 2019-20シーズン:最高殊勲選手賞(MVP)、ベスト6、得点王、サーブ賞
  • 2023-24シーズン:サーブ賞
天皇杯全日本選手権大会
  • 2023年:パナソニックパンサーズ(現・大阪ブルテオン)の優勝に貢献し、MVPを受賞
SVリーグ
  • 2024-25シーズン:特別賞(リーグの認知や集客を押し上げる顕著な影響力や発信力を発揮した選手に贈られる

 

コート外の西田有志:素顔と人柄

明るく親しみやすい性格

人懐っこく、誰とでもすぐに打ち解けられる性格です

年上の選手にも積極的に話しかけるなど、物怖じしない性格。

強い相手を倒すことを好み、ハングリー精神が旺盛。

困難な状況でも、くじけずに立ち向かう強いメンタルを持っています

時折見せるお茶目な一面も、彼の魅力の一つ。

結婚、奥様は

西田有志選手の奥様は、古賀紗理那さんです。2人はバレーボール日本代表の選手同士で、

2022年12月31日に結婚を発表しました。

 

 

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古賀選手は東京五輪後も代表チームで活躍し、2024年パリ五輪後に現役を引退しました。

お二人揃ってお幸せそうな笑顔が、とても素敵ですね!

また、二人はパリ五輪期間中も代表活動が重なることが多く、通常は別居生活を送っている

エピソードも話題になっています

 

逆境を乗り越えて:けがとリハビリの時間

怪我と戦いながらも代表復帰を果たすストーリー

2021年9月6日に中垣内祐一監督が西田有志選手が足首を疲労骨折していたことを

発表しました。

オリンピック直後に精密検査で発覚したといい「本当に綱渡りの状態でプレーさせていた」と。

 

2025年1月4日この日行われた今年初戦のジェイテクトSTINGS愛知戦で右耳付近へのボールの

直撃を受け「右鼓膜損傷」と診断されました。

20得点を挙げてセットカウント3―1の勝利に貢献しました。

 

”原因不明の病”に悩まされてた時期がありました。

微熱から高熱に悩まされる日々が何日も続き、一時は入院した事も。

倦怠感から目の不調まであったが、親には心配をかけるのを心配して相談できずにいたそうです。

苦しい胸の内を打ち明けられたのは妻の古賀紗理那選手でした。

そして監督や仲間達に胸の内を話し、頼れる存在を見出した時に彼の気持ちが軽くなったと言い

ます。それが良い結果を導いてくれたのですね。

ホットしました。

スポーツ選手は常に怪我との隣合わせ、気よ付けて下さいと願わずにはいられません。

 

西田選手が目指す未来 “世界の壁”を越えたその先へ

「自分の限界を、自分で決めたくないんです」。

インタビューでそう語った西田有志選手のまなざしは、常に“その先”を見つめている。

2024年のネーションズリーグでは、チームを牽引するスパイクと声で勝利を重ね、その存在感を

改めて証明してみせた。

「世界と対等に戦える力は、もうある。あとは勝ち切るだけ」

そう言い切る言葉の裏には、日々の積み重ねと、過去の失敗を糧にした覚悟が見える。

そして、西田選手は若手へのエールも忘れない。

若手選手へのメッセージ

「もっと自分を信じていいと思う。僕も最初は、世界の選手と並ぶなんて無理だと思ってた。

でも“挑戦することでしか、証明できない”って気づいたんです」
――(2023年スポーツ紙インタビューより)

今、バレーボールを志す10代の若者たちにとって、西田選手の言葉は何よりも強く、

温かいメッセージだ。

爆発的なプレーの裏に、冷静で現実を見つめる目。

その背中を見て、また新たな世代の選手が生まれてくるだろう。

高校2年・春高予選決勝戦でのエピソード

「ほら見てみ、お前のせいで負けたんやぞ」

足がつってチームを敗退に導いた有志選手を見て、母・美保さんはこう言い放ちました。

この言葉は、ただの叱責ではなく、試合前に「体力を鍛えておけ」との忠告を息子が

聞き入れなかったことへの強い叱咤でした。

「足がつるのは恥ずかしいこと。練習していない証拠」

涙を流しながら責任を感じていた有志選手に「現実を突きつける」この言葉は、選手としての

意識を根底から揺さぶりました。

効果はてきめん!その翌年にはインターハイ出場へ

美保さんの叱咤激励は有志選手の闘志に火をつけ、翌夏にはチームをインターハイへの

切符へ導きました。

まさに母の愛情と厳しさが、エースの覚醒を促した瞬間だったのです

西田有志選手のお母さま・美保さんは、元実業団(東芝名古屋)のバスケットボール選手で、

その経験や厳しい指導は有志選手の成長に大きく影響を与えています。

特に印象的なエピソードをご紹介しました。

まとめ

親だからこそ言えた“愛ある一撃

「うちの母は、昔から言葉が少ない。でも、そのぶん1つ1つが刺さるんですよ」
どれだけ技術や才能に恵まれても、それを引き出すのは“人”。
そして最も強く支えてきたのは、母の声だった。

「世界で勝ちたい」。
その思いを胸に、今も挑戦を続ける西田選手。
厳しくも温かな“母の言葉”が、今も彼の背中を押している