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NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』で、小栗旬が再び織田信長
を演じる。約10年前の『信長協奏曲』では、現代的で軽やか
な解釈による“新しい信長像”を提示した彼が、いま成熟俳優
として挑むのは、戦国時代の現実の闇に生きた“孤高の人間”
としての信長である。豊臣秀吉と秀長――兄弟の絆を描く物
語のなかで、信長は権力の象徴であり、同時に彼らを照らし
出す“影”として存在する。この作品は信長を主役に据えない
からこそ見えてくる、稀有な人物像の再発見である。

 

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『豊臣兄弟!』――兄弟の絆の中に浮かび上がる“信長の影”

『豊臣兄弟!』は、天下統一を目指した豊臣秀吉と弟・秀長の兄弟関係を軸に

描かれています。

従来の大河が英雄の生涯を語るものだとすれば、本作は“英雄を見つめた者達の物語になります。

その構造のなかで、小栗旬演じる信長は、もはや「物語の中心」ではなく、“時代を

動かす原点”として配置される。

この距離感が、従来の“カリスマ信長”像とは異なる、静かで人間的な存在感を生み出している。

 

小栗旬の挑戦――10年ぶりの信長役に込めた思い

小栗にとって信長役は、2014年の『信長協奏曲』以来である。

当時は“もし現代人が信長になったら”という異色の設定だったが、今回は正統派の大河ドラマ。

「過去の信長を演じた経験があるからこそ、今の年齢で見える“人としての信長”を出したい」

語る小栗の言葉に、俳優としての深化がにじんでいます。

 

小栗旬の演技が体現する「沈黙の支配」

小栗旬の信長には、怒号も激情も少ない。

その代わりにあるのは、沈黙の中に宿る圧倒的な支配力だ。

彼がほんの一言、あるいは視線を動かすだけで、場の空気が張り詰める。

演技を“声の強さ”ではなく“呼吸の重さ”で表現することで、信長という人物の

本質――理解されることを拒む孤高――が際立つ。

この静けさの中に潜む狂気こそが、小栗旬が到達した“第二の信長像”である。

 

鬼気迫る存在感――“天下を統べる者”の孤高

撮影現場では、小栗が演じる信長が登場すると空気が一変するという。

監督や共演者からも「まるで信長が現代に蘇ったよう」との声が上がるほど。

その眼差しには、権力者としての冷徹さと、人間としての脆さが同居している。

 

豊臣兄弟との対比が生むドラマ

理想と野望、忠義と裏切り――信長の生き方は、豊臣兄弟の人生を大きく変えていく。

小栗旬の信長が描き出すのは、彼らの運命を決定づける“光と影”の存在だ

 

歴史を超えて、現代に響く「孤独の美学」

本作の信長は、単なる権力者ではない。

秀吉や秀長が“人と人との絆”によって時代を切り開こうとするのに対し、信長は

あくまで“自分の理想”に殉じる。

その対照が、現代社会における「個」と「集団」の関係をも想起させる。

小栗旬は、その哲学的孤独を、派手な演出ではなく繊細な表情と間合いで表現する。

そこには、彼自身の俳優人生――妥協を許さず、常に挑戦を続けてきた姿勢――が重なる。

 

“再演”ではなく“再定義”としての信長

10年前の『信長協奏曲』では、時空を超えた青年としての信長を演じています。

それは「信長という偶像の再解釈」でした。

今回の『豊臣兄弟!』での信長は、むしろ「偶像の解体」です。

人間としての弱さ、苛立ち、寂寞――小栗旬はそれらを抑制された演技で

浮かび上がらせます。

“天下人”という称号を剥ぎ取ったとき、そこに残るのは一人の人間の孤独。

それを見せきる勇気こそ、俳優・小栗旬の成熟の証だ。

まとめ

『豊臣兄弟!』で小栗旬が描く信長は、もはや歴史の英雄ではない。

彼は、理想と孤独を背負いながら時代を駆け抜けた“人間”そのものだ。

沈黙の中に宿る狂気、そして孤独の美学――。

それは俳優・小栗旬がこの10年で到達した、ひとつの到達点である。

歴史を再現するのではなく、人間を再定義する。

その挑戦が、『豊臣兄弟!』という作品を、時代を超えたドラマへと昇華させている。