粟田純徳は400年の系譜を受け継ぐ石工集団【穴太衆】第15代目当主で㈱粟田建設代表取締役です。
粟田純徳は1968年滋賀県で生まれました。
中学校を卒業後進学はせず、すぐさま13代目祖父の粟田万喜三が師となり
修行が始まりました。
祖父は厳しく、名前で呼ばれることはないし、給料も少なくそうかと言って
勿論、文句を言える立場ではなかった。
祖父には自分の元気なうちに技術を叩きこもうとしていたようです。
常に時間がない時間がないと言ってたのも
孫に少しでも伝統ある技術を残してやりたいと考えたからでしょう。
祖父の亡き後にその偉大さに気付いたとか。
おじいさんの立場は良く理解できますね。
穴太衆(あのうしゅう)とは?
織田信長の城「安土城」の生垣を作った石工集団・穴太衆(あのうしゅう)
安土桃山時代に活躍した石工(いしく)職人の集団をこう呼んでいました。
寺院、城郭などの石垣施工を行った技術者集団なのです。
穴太衆の作る石垣は、とても丈夫だと評判を呼び織田信長は安土城を
建設する時彼らを召し抱えたと言われています。
滋賀県大津市穴太(あのう)地区に住んでいたの事からそう呼ばれて
いたようです。
比叡山の門前町である大津市坂本には、穴太衆が手掛けたのでないかと
思われる石垣がそこかしこに見られ「石積みの里」として知られています。
自然の石を何ら加工しないでそのまま使い、美しく丈夫に積み上げる。
千年以上前から続いている石積み技術【穴太積み】を継承しているのは
粟田家のみです。
見るからに頑丈そうな生垣ですね。
比重のかけ方や石の組み合わせで地震に強く、豪雨の際の排水にも工夫が
なされていますし、そこには秘伝の技が感じられます。
同じ形の石は一つとして存在しません。
粟田純徳は遠くポートランドの日本庭園を手掛けています。
その庭園の管理者が日本の方で、声をかけてもらったそうです。
新規の大きな工事でした。
その仕事の繋がりでダラスでの石積みの仕事も戴いたそうです。
メンテナンスの仕事も年々、減少してきています。
海外での仕事が評価され、日本での仕事が増えるのを期待してるそうです。
どんな業種でもそうですが、仕事がないのは一番キツイですね。
粟田家にはご長男と娘さんの子供さんがいらっしゃいます。
長男は跡を継いでくれるでしょう。
まとめ
石工集団(穴太衆)第15代目当主粟田純徳さんを取り上げてみました。
400年の系譜を受け継ぎ素晴らしいお仕事をされています。
第16代目の誕生を心から願っています。
掛け替えのない技をご長男に伝授して戴きたいものです。