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タロジロ南極物語に今まで描かれていなかった驚愕の事実とはなにか?

 

タロとジロの生い立ち

1956年(昭和31年)1月、稚内市にて風連のクマと、クロの子として生まれました。

名前はタロ・ジロ・サブロの3兄弟でした。

南極観測隊に樺太犬による犬ぞりの使用決定により樺太犬が集められた。

父親と3兄弟を含む23頭は、稚内で樺太出身の後藤直太郎による訓練が

始まりました。

このうちサブロは犬そりの訓練中に病死しています。

 

 

タロ、ジロを含む15頭の樺太犬の災難とは?

 

1957年から1958年にかけて第1次南極観測越冬で、11名の越冬隊員と
19頭のカラフト犬は南極・昭和基地で1年を過ごしました。

 

1958年2月第1次越冬と第2次越冬は交代予定でしたが、悪天候のため
中止となってしまいます。

 

15匹の樺太犬を救出することが出来ず、クサリに繋いだまま極寒の南極に
置き去りにしました。

 

最後の隊員が離れる時に犬たちは「ウオ~ン」と吠えたそうです。

何かを察したのでしょう、可哀そうでしたね。

きっと隊員たちも身を切られる思いだっと察します。

当時、置き去りは残酷だと、観測隊は世間から激しい非難を浴びました。

 

タロとジロ奇跡の生還

まさかまさかのタロとジロが南極で1年間生きのびていました。

1959年第3次越冬隊のヘリコプターが昭和基地に2頭の犬を発見!

この知らせに日本中が喜びに沸き上がったのを覚えています。

 

犬係を担当していた北村泰一氏がジロ、タロと名を呼んだところ

しっぽを振り声に反応してくれたそうです。

犬達は最初北村氏に対しても警戒の態度を取っていたそうです。

 

基地には7頭の犬が首輪に繋がれたまま死んでいたそうです。

残りの6頭の行方は分かりませんでした。

風連のクマ、アンコ、ジャック、リキ、デリー、シロの6頭です。

本当に良かったですね。

 

タロとジロ生還の理由には第三の犬リキの存在があった

1958年極寒の昭和基地にクサリに繋がれたまま置き去りにされた
15頭の樺太犬。

しかし、幼かったタロジロが1年間の間、どうして生きのびて
来れたのでしょうか?

そこには第三の犬、【リキ】の存在がありました。

クサリから抜け出て行方不明だった6頭の内の犬でした。

 

リキは犬が持つ「保護本能とリーダーシップ」に優れていました。

幼いタロジロを守り抜いたのです。

リキは灰色で短毛の特徴がありました。

 

第1次越冬中もタロとジロに自分の餌を与えたり実の親のように2頭の

面倒をみていたのを北村氏は覚えていました。

 

クサリから逃れた他の5頭の犬のように、どこへでも行けたはず。

 

それをしないで残ったのは、幼いタロジロを見捨てる事が出来ない
保護本能が働いたものと思われます。

タロジロが自力で食べ物を得る事が出来ないとリキは知っていたからです。

 

7歳の最年長だったリキは、徐々に体力を失って行き力尽きてしまいました。

自分は死んでもタロジロを守り抜いたとリキは満足していたと思います。

 

 

まとめ

1959年南極大陸の昭和基地でタロジロが生きて発見され、喜びに沸いた。

タロジロの生存には最年長のリキの存在が明らかになった。

基地に置いて来た犬の食料や死んだ犬を食べた形跡は一切なかった。

おそらく、アザラシの糞やペンギンの肉を食べていたものと推察された。

発見されたタロジロは第3次越冬隊と基地で1年間すごした。

その間、ジロは体調を崩し死んでしまいました。

帰国後タロは札幌の北海道大学植物園で余生を送っていましたが1970年8月に

亡くなっています。