戸島 國雄(とじま・くにお)さんの人生は、波乱万丈と言っても過言ではないでしょう。
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戸島 國雄(とじま・くにお)さんの経歴をご紹介したいと思います。
生年月日:1941(昭和16)年1月1日 79歳
愛称:似顔絵のトンちゃん
柔道:講道館 6段
☆1960(昭和35)年 19歳で自衛隊に入隊
☆1965(昭和40)年 警視庁 巡査を拝命
☆967(昭和42)年6月27日 警官になる
☆警察官を志した理由は中学生時代に冤〔えん〕罪に苦しめられた経験が
あったそうです。
☆ テレビドラマ「七人の刑事」の影響も大きかったと話しています。
☆1970(昭和45)年 警視庁 刑事部 鑑識課で現場写真係を担当
主な担当事件
1970年 三島由紀夫割腹事件
1974年 三菱重工爆破事件
1982年 ホテル・ニュージャパン火災
1982年 羽田沖 日航機墜落事件
1985年 御巣鷹山 日航123便 墜落事故
1989年 宮崎 勤事件
1995年 オウム真理教事件 など
この当時は、本当に事件が多かったです。
☆1995(平成7)年3月 警察庁海外派遣の試験を受験し、合格しました。
☆1995(平成7)年11月タイ内務省警察局(現在のタイ警察庁)へ赴任する。
1994(平成6)年3月 54歳のとき最愛の奥様を白血病で亡くされています。
生前、看護師長をしておられた奥様は、心配かけまいと病気を隠して1人で
戦っていらしたのですね。
素晴らしい方です。
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タイ内務省警察局(現在のタイ警察庁)ではどのような指導を?
JICA専門家として事件現場の第一線に立ち、鑑識技術の指導にあたりました。
自ら撮影したタイの事件・事故の現場写真を教材化して
鑑識技術の教科書を執筆したのです。
この教科書は、タイ国ポリスアカデミーで現在も使用されているそうです。
何故遠いタイに応募した理由を聞かれると
奥様と過ごした家に一人で居ることのつらさから逃れるため
新天地でもう一度 自分の可能性を試してみたかったからということでした。
★1998(平成10)年 帰国
★同年 警視庁似顔絵捜査官が設立される
★2000(平成12)年 似顔絵専門捜査官 第1号に任命される
★2001(平成13)年 警視庁を定年退職
★2002(平成14)年3月 JICAシニア海外ボランティアとしてタイへ赴任
タイ警察からの強い要請により再びタイへ渡ります。任期は5年でした。
タイ国家警察のNo.3である「大佐」の階級を与えられました。
★2004(平成16)年12月26日に発生したスマトラ沖地震によるインド洋大津波では
身元確認に従事しています。
★2008(平成20)年9月 第5回JICA理事長表彰を受賞
★2011(平成23)年7月 現役を引退して帰国しています。
★2011(平成23)年11月瑞宝単光章〔ずいほうたんこうしょう〕受賞
★2012(平成24)年4月 警察庁長官賞を受賞
戸島國雄さんは警視総監賞・部長賞など107回もの受賞歴を持っています。
奥様存命ならば、どれほど喜んで下さったか、そう思うと残念です。
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まとめ
奥様が、【私の分まで生き抜いて】と言われた言葉が切なさすぎますが
お身体に気よ付けてお過ごし下さいね。