天才書家 相田みつをの心に刻みたい言葉は、私たちの心に響きます。
晩年、病床にありながらも相田みつをの本で不死鳥のごとくカンバックを
果たした人、それは美空ひばりさんです。
めげそうになる時、手に取って読んでいたそうです。
プレゼントしてくれたのが、あの萬屋錦之助だったそうです。
相田 みつを(あいだ みつを)
本名:相田 光男(あいだ みつを)
生年月日:1924年5月20日
出身地:栃木県足利市
死没:1991年12月17日(67歳没)
大學:関東短期大学
著名な実績:書道、詩
雅号:貪不安(ドンフアン)
代表作:にんげんだもの、おかげさん
受賞:毎日書道展入選
相田みつをは1924年、栃木県足利市に6人兄弟の三男として生まれました。
喫煙の濡れ衣をきせられ、軍事教練の教官に嫌われたために進学を断念したそうです。
いまでこそ、喫煙なんて大した事ではありませんが当時としては許しがたい
行為と思われる時代でしたね。
ある日のこと、大好きな幸夫兄さんが紙芝居をみに連れていってくれました。
家が貧乏で、飴を買えないため遠くからタダ見をしていて見つかってしまい
何度も何度も殴られたが、弟みつをの為に歯を食いしばって兄は耐えたのでした。
この幸夫兄さんは新聞社の模擬テストで県一番を取るほどの秀才でしたが
家計を助ける為に旧制中学に通うことがかないませんでした。
本当に優しいお兄さん2人でしたね。
自分の身を犠牲にしても弟たち守ってくれたのです。
相田みつをさんの作品には沢山の愛情があふれています。
2人のお兄さんから受け継いだ人間的なすばらしさが
そのままみち溢れているのではないでしょうか。
相田みつをは3人の師に出会い素晴らしい作品を生み出す結果になりました。
◉歌人・山下陸奥に師事した。
◉1942年、曹洞宗高福寺の武井哲応と出会い、在家しながら禅を学びました。
◉1943年、岩沢渓石に師事、書家を目指して修行に励みました。
1953年3月、関東短期大学卒業を果たしました。
相田みつをの創作活動を追ってみました。
1954年から7年連続入選し、技巧派の書家として出発した相田みつをでしたが
「書」と「詩」の高次元での融合を目指すようになりました。
短く平易な自らの言葉を書く作風を確立したのです。
芸術にたけた人は、なんにでも挑戦できるものですね
1955年になると、ろうけつ染めを学び地元商店からデザインを請け負うなどして生計を
立てていました。
1984年、詩集『にんげんだもの』出版し知名が広がっていきました。
第2詩集の『おかげさん』(1987年)は約25万部のベストセラーになり、
足利市の老舗菓子店「虎谷」のミートサブレの包装紙や栞のデザインも手掛けたのです。
相田みつを美術館
住所
〒100-0005
東京都千代田区丸の内3-5-1
東京国際フォーラム地下1階にあります。
館長は、みつをの長男である相田一人さんです。
1996年(平成8年)9月19日、東京都中央区銀座に開館
2003年(平成15年)11月1日、現在の東京国際フォーラム内に移転しました。
目や耳の不自由な入館者のため、手話や誘導の研修も行っています。
開館10周年にあたる2006年(平成18年)には、来館者の累計が380万人と
個人名を冠した美術館ではトップクラスの来館者数となっています。
まとめ
読む人の心を惹きつける、詩人で書家の相田みつをさんについて
書いてみました。
作品一つ一つ見ても胸に突き刺さるものばかりだと思いました。
誕生日が5月20日で親しみさえ感じました。
コロナウイルスの為、美術館は休館だそうです。
1日も速く終息し、大勢の人達が相田みつを美術館を訪れることが
できますように祈りたいと思います。