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瀬戸内寂聴は日本の小説家、天台宗の尼僧であり文化功労者、文化勲章を受賞し99歳で亡くなりました。

 

 

 

瀬戸内寂聴さんは大正11年5月11日に徳島県徳島市塀裏町(現・幸町)で誕生しました。

家は仏壇店を営んでおり、名前は三谷晴美と言いましたが、父が瀬戸内家と養子縁組したため

徳島高等女学校時代に瀬戸内晴美に改姓となっています。

 

性格はおとなしく、体が弱かった為、本ばかり読んでいる子供だったようです。

21歳で酒井悌と結婚し22歳の時のに女の子を出産しました。

 

●酒井悌は国会図書館支部上野図書館長を務めました。

●全国学校図書館協議会会長、金沢工業大学理事も務めました。

 

瀬戸内寂聴1回目の不倫相手は誰れ

終戦後、徳島に帰宅した際、夫の教え子である文学青年と不倫関係になりました。

晴美25歳 夫34歳 不倫相手21歳の時の事で、これが最初の不倫でした。

そして1948年(26歳の時)に夫と3歳の長女を棄て家を出て京都で生活を始めました。

酒井悌とは1950年(28歳)に正式な離婚をしています。

別れたあと娘には母親は死んだと告げていたそうです。

やはり娘に真実を知られたくなかったからでしょう。

 

娘が結婚する時に嫁入り道具一式を贈ったそうですが、物の見事に

つきかえされたそうです。その気持ちもわかります。

母に捨てられた事実は許し難かったのでしょう。

 

後年、娘さんとは和解したそうですから本当に良かったですね。

 

瀬戸内寂聴2回目の不倫相手は誰れ

 

昭和時代後期の小説家である小田仁二郎が2回目の不倫相手になります。

山形県南陽市出身で、彼女は小説の師として指導を受けました。

小田仁二郎は戦後文学の前衛文学を書き、芥川賞や直木賞の候補に

なった小説家でもあります

 

小田仁二郎との出逢いが寂聴(その当時は瀬戸内晴美)に影響を

与えました。

瀬戸内寂聴が「小田の唯一人の文学の弟子」を自称していた事からも

窺う事が出来ます。

 

小田仁二郎や元夫の教え子との不倫(三角関係)の恋愛体験を描いた

『夏の終り』で1963年の女流文学賞を受賞し、作家としての地位を確立

して行きました

 

 

瀬戸内寂聴3回目の不倫相手は

妻子ある小説家井上光晴さんです。

貧窮の中に育ち、炭鉱労働を経て日本共産党に入党したが、

『書かれざる一章』が内部批判を浴びた事から離党しました

 

 

動画で井上光晴さんを見ていると、確かにも魅力的な男性ですね。

ハキハキ自分の言葉で大勢の前でも臆することなく喋ることができるのは

天性のものとしか思えません。

 

彼の幼少期のあだ名が「嘘つきみっちゃん」だが、生前に記していた

 

生い立ちや経歴の多くが虚構であったことから、そう呼ばれました。

何となく憎めない所が魅力です。

 

 

瀬戸内寂聴さんは自分の他にも女性がいることが知った時はビックリ

したそうで、女性を喜ばす言葉を沢山持っていて、それに引かれる女性が

少なくなかったのですね。

 

瀬戸内寂聴が出家する決心した理由とは

1973年井上光晴との関係を絶つために、岩手県中尊寺で得度し

法名を寂聴に改めました。

当日は井上光晴も駆け付けてくれたそうです。

奥さんに行くように言われたため。

それ以後は男と女の関係は、きれいさっぱりなくなったそうです。

 

井上光晴さんには長女で直木賞作家・井上荒野(いのうえあらの)さんがいます。

両親と瀬戸内寂聴の三角関係を取り上げた小説『あちらにいる鬼』が有名です。

この作品を書くに際して瀬戸内寂聴を取材したそうです。

怒られるかと思いきや、推薦文まで書いてくれたそうで

何と懐が深い女性かと感じたそうです。

 

井上光晴さんが亡くなってからも、奥様との交流は続き仲がよかったそうです。

なかなか、そのようなお付き合いは憎しみが先だって出来ないのが通常ですが

奥様、瀬戸内寂聴さん、どちらにも魅力が持ち合わせていたのでしょう。

 

まとめ

99歳で大往生を遂げられた、瀬戸内寂聴さんを書きました。

瀬戸内晴美と言う小説家の事、その後尼僧になったとの記憶はありました。

生涯で3人との不倫は衝撃的でした。

若い時の写真に余り笑顔を見れませんが、尼僧になってからの寂聴さんは

笑顔が素敵な女性にみえました。

お話ぶりや優しい言葉、動作に助けられた人は多いと思います。

脊柱管狭窄症を患い痛い思いをしたのは、とてもお気の毒でした。

 

●私は多く傷つき、多く苦しんだ人が大好きです。挫折感の深い人は

その分愛の深い人になります。

●いろんな経験をしてきたからこそ、あなたの今があるのです。

すべてに感謝しましょう。

この言葉に感銘をうけました。

自分の人生の糧にしたいと思います。