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2010年元巨人軍コーチ木村拓也氏がくも膜下出血でこの世を去って今年で10年になります。奥様と残された3人の子供さんの現在を調べてみました。

 

木村拓也(きむら たくや)さんは1972年(昭47)4月15日、宮崎県宮崎市で生まれした。

 

宮崎南では強打の捕手で1年の夏に甲子園出場を果たしています。

1990年ドラフト外で日本ハム入団、1994年オフに広島に移籍。

04年にはアテネ五輪に出場しています。

2006年シーズン中に巨人に移籍しました。

 

木村拓也(きむら たくや)さんは投手以外の守備をこなす

「俊足・強肩・巧打」の三拍子揃ったユーティリティプレイヤーとしては

「球界No.1」と呼ばれていましたね。

ランナーが居なくてもセーフティバントで出塁するなど敵チームにとっては

とても怖い存在でした。

 

 

 

2009年9月4日のヤクルト戦(東京ドーム)で延長11回、この時3人目の捕手加藤選手が

頭部に死球を受け退場となり巨人は絶対絶命的状況におちいりました。

捕手登録の選手が不在になってしまったのです。

 

この時、木村選手が12回なんと10年ぶりにマスクをかぶって登場し、

場内は異様な盛り上がりをみせました。

 

3投手を無難にリードし非常事態を脱して引き分けに持ち込んだのです。

そして巨人は優勝へのマジックを19に減らす事が出来ました。

原監督も木村選手を出迎えてとてもうれしそうでしたね。

 

 

 

 

 

 

木村拓也氏突然の別れに、日本中が悲しみにつつまれました。

 

現役引退した後は2010年から巨人内野守備走塁コーチに就任しましたが

4月2日広島戦(マツダ)の試合前にくも膜下出血で倒れ7日に亡くなられました。

余りにも突然の事でファンや野球関係者は茫然としてましたね。

享年37歳とは、あまりにも早すぎた別れでした。

 

 

 

2010年4月お父さんの追悼試合で、阿部のミットにノーバウンドで投げ込んだ恒希さん
見事な投球に球場内はどよめきに包まれましたね。

礼儀正しく、帽子をとり挨拶する姿に涙がこぼれたのを今でも思い出します。

顔立ちはやはりお父様に似ていますね
長男の恒希さんには相当厳しかったそうです。

妹は女の子だし、弟は小さかったし、お前に頼むと言う気持ちがあったのでしょう。

 

 

10歳の年齢ながら、落ち着き払った始球式での恒希さんは、今どうしているのでしょうか?

 

 

 

原監督の恒希君の背中にまわした手に愛情が込められているのを感じました。
恒希君も大役を果たし本当に嬉しそうですね。

 

 

この写真は恒希君18歳の頃と思われます。

 

随分と大きくなりましたね。

お顔を見るとあの当時そのままで

お母様に取っては頼もしい存在になっていると思われます。

 

小学2年生:お父さんのようなプロ野球選手に憧れていました。ソフトボールをはじめました。

中学生  :強豪シニアに入部するも楽しく野球やりたい思い 中学の野球部に移りました

高校生  :廿日市高校でも野球を続けましたが、膝のケガで手術をしました。

大学生  :広島工業大学建築デザイン学科で、硬式野球部に所属しポジションはセカンドです

 

 

木村 恒希さんが広島工業大学建築デザイン学科に入学したのには理由がありました。

高校2年生の時母親の由美子さんが『建築関係の仕事に興味があった』と聞き

広島工業大学建築デザイン学科に進学したそうです。

由美子さんは嬉しかったと思います。

自分の果たせなかった夢を恒希君が挑戦してくれる訳ですから。

 

長女の(生吹)さんと次男の(俊生)さんは同じバスケットボールを

しているようです。

生吹さんの高校は強豪校であり全国レベルの高校でもあるようです。

次男俊生さんの現在は、中学生になっているようです。

 

まとめ

37歳の若さで妻や子供3人を残して亡くなられた木村拓也さんの記事を

書きました。

 

由美子さんを中心に頑張っていらっしゃる姿を拓也さんは、目を細めて

見守ってくれてると思います。

 

恒希さんが一級建築士を目指して努力して下さる事を願っております。