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金沢の城下町「長町」は加賀藩の中級武士だけが住む事を許された界隈でした。

 

野村家の庭園は平面だけでなく立体的でかつ、ダイナミックな構図が素晴らしいです。

大野庄用水から水を引き入れ池は2段に分けて水の流れる様子を見る事が出来ます。

 

 

この庭園には樹齢400年と言われるヤマモモ、椎の木の古木や六尺に及ぶ大雪見灯篭

桜御影石の大架け橋、そして濡れ縁のすぐ下にまで水がせまる曲水、落水を配した

佇まいは屋敷と庭園の調和が見事で見る者たちが息を飲む美しさです。

 

 

2009年にミシュランの観光地格付けで2つ星に選ばれていますし

米国の庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニージャパニーズ・ガーデニング」の

日本庭園ランキングで第3位に選ばれており、海外からの評価が高いのも特徴です。

 

屋敷の土地の大きさとか、城からの距離などで武士の格がわかるようです。

 

住所:石川県金沢市長町1-3-32

料金:大人550円 高校生400円 小中学生250円

営業時間:4~9月 8:30~17:30

営業時間:10~3月 8:30~16:30

(入館は閉館の30分前まで)

定休日:12月26日・27日 1月1日・2日

所要時間:30分

アクセス:車で金沢駅から約15分

 

野村家について調べてみました

 

天正11年(1583)前田利家が金沢城に入城した際、直臣として従った

野村伝兵衛信定家は、禄高千石、千二百石と累進し、十一代にわたって

御馬廻組組頭、各奉行職を歴任しています。

 

1984年10月12日能登国末森城(石川県羽咋郡宝達志水町)で行われた

攻城戦で末森城の合戦とも言われてます。

この「末森城の合戦」で一番槍の武功を挙げて、千石を賜ることになった

そうです。

 

野村家に入ると目の前に飾られてある甲冑。

436年前に野村伝兵衛信貞が末森城の合戦で身につけていたそうです。

保存状態もいいようですね。

何かしらロマンを感じてしまいます。

 

 

千有余坪の屋敷を拝して明治4年の廃藩までつづいた由緒深い家柄です

武家制度の解体により野村家も住人を変えながら、加賀大聖寺藩の

北前船の傑商久保彦兵衛が天保14年(1843)に建立した、藩主を

招いた豪邸の上段の間や謁見の間を移築して現在に至っています。

 

永い歴史を感じ取ることが出来ますね。

それにしても、豪商と呼ばれた人の力はとてつもなく大きかったのですね。

 

 

 

野村家には展示資料館「鬼川文庫」があります。

 

何故、鬼川文庫なのか?名前の由来には2つの理由があるようです。

 

① 慶長年間、時の開鑿(かいさく)奉行である富永勘解由左衛門は、

鬼を祭祀し、自らつくりあげた武家屋敷周辺の用水を”鬼川”と名付けた。

(開鑿(かいさく)とは土地を切り開いて道や運河を作る意味です。)

 

② 銭屋與右門を父とする黒本植は、時の漢学者・藤田維正の門について

和漢の書を学び、当野村家 周辺に在住しており、自らの書庫を

”鬼川文庫”と呼んでいました。

黒本植(黒本稼堂)は加賀出身の明治大正時代の漢学者です。

 

数々の展示品

●前田家、明智光秀、朝倉義景などの書状

●野村家伝来の刀剣や絵

●刀剣の中に加賀国の刀匠・加州清光の刀もあります。

●九谷焼・九谷中興の祖、九谷庄三の赤絵大鉢

西村松逸(にしむらしょういつ)作の「蒔絵松図硯箱」

 

土蔵を改修した資料館で落ち着いて見学できるのも嬉しいですね。

 

 

 

 

まとめ

金沢武家屋敷野村家を書いてみました。

野村家周辺には昔ながらの風情を感じさせてくれる、土塀や石畳の

ある道は日本の雰囲気を味わう事が出来ます。

 

冬の風物詩である

土塀を雪の浸透から守るため、わらのむしろを土塀に掛ける

「薦掛け(こもがけ)」も珍しい風景でしょう。

 

道端の角にある石は「がっぽ石」と呼ばれ、下駄に挟まった雪を

叩いて落とすのに使われていました。

 

茶室でお抹茶を戴くことが出来ます。

とても美味しいそうですよ。

野村家は一度は訪れてみたいお屋敷ですね。